白熱ライブ ビビット:埼玉県吉川市内の中学校の卒業お祝い献立は非常識か!?
3月。卒業シーズン。
今日は3月11日。5年前に東日本大震災の起こった日でもある。
メディアもあの日のVTRを流したり、今の被災地の様子を番組内で中継したり、様々な角度から伝えている。
5年前の今日、東北からは離れたところにいながらも、緊急のニュースはすぐに伝わり、職場にある一つのテレビもつけられた。そのテレビの映像に言葉を失い、阪神淡路大震災もフラッシュバックして、小刻みに震えていた。
当時は、高校の教員をしており、卒業式を終えた3年生の、国公立大学の後期2次試験の対策を行っていた。そのうちの一人の生徒の父親は、出張でちょうど東北に行っており、自分の受験と安否の心配が重なり、不安な思いを抱えていたということをあとで知った。
震災は忘れない。これまでの自己の歩みの過程にある。
いろいろ思いめぐらしていた時、たまたまつけていたTVから流れてきた話題。中学校の卒業お祝い献立の給食に対して、震災のあった日に「お祝いするなんて、非常識、不謹慎」という教職員から反対する意見が寄せられたというのだ。
吉川市内の中学校では、毎年卒業式の2日前にお祝い献立を出すことが慣例となっているそうだ。それが、今年は今日。
教職員の「非常識」と言う意味がわからない。もちろん、教育委員会は震災の日であることと、お祝い献立とは別のことだととらえて、お祝い献立はやめないとのこと。
この話題については、「3月11日が誕生日であるのに祝うのは非常識なのか」「震災ももちろん、他にも大きな被害がもたらされた日がある。それらはどう考えるんだ」等々の内容の意見もあるようだ。
震災の日にお祝いなんて「非常識、不謹慎」という発言から伺えるのは、その教職員の方の視野の狭い、単純な思考だ。教育委員会へのクレーマなのか、はたまた個人の不満が溜まっているのか、そこについては推測さえできないが、なぜ、お祝いごとに水を差すのだろう。とんでもない豪華なメニューであるとは思えない。給食を担当されている方々のささやかな心づくしが解らない教育者なのか。
教員の頑なさと決めつけが、教育現場の諸問題の背景にあることの一端に思えてならない話題である。