ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

仕事上は旧姓のままの友人の離婚したい率が高いので・・・

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入籍はしているが、仕事上は旧姓で通している友人が何人かいる。ちょっと前までは、仕事場での結婚報告は「姓が変わります」「入籍しました」というあいさつが多かったが、近ごろは「結婚しましたが、仕事上はこれまでの名前でお願いします」というあいさつにも慣れてきた。

 

結婚することで、姓が変わるのは、圧倒的に女性の方が多い。私の身の回りの女性たちは、結婚したくない派が一番多く、次に結婚しても通称のままでいる(いたい)派で、少ないのは、相手の姓に変わった(変わりたい)派である。(むろん、結婚したくてもなかなか相手がいない、仕事上のキャリアを重ねるために結婚どころではないという女性もそこそこいる)

 

入籍しても通称のままでいる彼女らは、みな恋愛結婚で、結婚式も型通りに行い、それはそれで結婚することを幸せに感じていたと思う。それぞれの夫さんは、彼女らのお相手として違和感は全くない。夫さんたちは共通して優しい雰囲気だった。妻の仕事に対する理解も十分だった。

 

しかし、結婚生活はうまくいっていない。今のところ、通称派の100%が離婚したいと言っている。

 

通称派の彼女らの年齢も結婚年数もさまざまであるが、共通点は、生活上のおさいふは別々にしている、彼女一人でも経済的に困らない、子どもがいないことなどがあげられる。結婚後の夫さんに対しての思いにも共通点があって、ざっくり一言でまとめると、うっとうしいそうだ。

 

この頃は一昔の男性と同じように、ずっと仕事を続けたい女性も、「身を固める」ことが、社会の信用を得ることや安心感を持たれることにつながり、「結婚している」ことがキャリアの一つになる場合がある。結婚して「一人前」という風潮は、まだまだ世間に根強い価値観だ。

 

一度結婚すれば、もう何も言われない。自由を手に入れたといってもよいぐらいの解放感かもしれない。

 

離婚したい通称派の気持ちを想像してみた。

 

あれ? 他人がいる・・・生まれ育った環境が違うのだから、価値観が違うのは当然、お互いさま。夫は優しいから我慢しているかもね。でも、ちょっとずつすり合わせていくのはめんどう。そんなことに、時間はとられたくない。夫は何とか私に合わせようとしているかもしれないけど、私は私。合わせる気はない。夫、もう、夫という存在がうっとうしいな・・・離婚だってリスクにはならない。バツイチという言葉も市民権を得ている。仕事でも認められているし、生きていくのにも困らないし。もう、別れちゃおう。

 

一度ぐらいは結婚してみてもいいかな、嫌になったら別れたらいいだけだから・・・

  

婚姻の形態は、時代によって違っていた。明治に作られた制度は、「家」の概念や家族の在り方等もう平成の今には当てはまらない。どうして姓を変えなきゃいけないのか、疑問に思いつつも、女性が社会進出をして、結婚後も辞めなくなり、通称を用いることは世間に受け入れられてきている

 

通称? いや、本名なのだ。

 

生まれた時からの姓名は、仕事に生きる女性のこだわりの一つ。制度で紙切れ上、姓は変わったけれど、それは私の本質ではないから・・・そんな感じですかね。

 

私の周りにいる女性らは、世の中の一般ではないかもしれない。でも、その世界にいるものにとっては、よくあるパターン、一つのモデル。私生活の私がかりそめで、仕事上の私が私。

 

私もそうかもしれない・・・

 

 

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