ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

脳震盪の影響はあったのか?精密検査の結果では触れられていません。

トピック「羽生」について

 
羽生選手に「感動」するだけでよいのか? 誤ったスポーツ観が選手「生命」を奪う 脳震盪後、1日は安静に(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

それは端的にいうと、(脳震盪であったとすれば)その事後対応は、多くのスポーツドクターが目を疑う光景であったといってよい

 

この話題での問題点は何なのか。ファンはもちろん、各分野の専門家や選手、ジャーナリスト、一般人に拡散して、世界からの反応も加わり、注目度、衝撃の大きさから騒動になっています。

 

そのような中で、一つ改善される動きが伝えられました。


Yahoo!ニュース - 羽生の悲劇 医師帯同を検討へ(2014年11月10日(月)掲載)

 

日本のチームドクターがその場にいなかったことが問題と考えるならば、このニュースは前進ですよね。でも、アメリカチームのドクターの判断ではだめなの?

 


Yahoo!ニュース - 羽生 自ら「演技したい」と言った!オーサーコーチ「最初は混乱していた」 (スポニチアネックス)

 

羽生は演技したいと言ったが、脳振とうなどの症状がないかを注意深く見て判断した。最初は混乱していたが、時間がたつにつれて意識がしっかりしてきた

 

本人が出たいと言ってもコーチが止めるべきとこの事故からすぐに批判めいたものが出ていました。コーチは棄権を提案し、本人の意志を確認し、脳震盪についても配慮しています。

 

中継で解説をしていた佐野稔さんも松岡修造さんも、棄権を大声で唱えていました。コーチも。で、コーチが止めるべきだとおっしゃる方々、羽生選手とオーサーコーチと同じ関係性だったとして、あなたなら止められますか?

 

脳震盪の危険性は、学校現場では学校管理下での部活動指導でいくつもの痛ましい事例から、周知徹底されることです。教員であった時、学校管理下で起こった不慮の出来事で自身が脳震盪と頭部裂傷で10針ほど縫った経験をして怖さは少しはわかっています。ラグビーで脳震盪が起こった場合やボクシングの例でも語られます。

 

頭を強打したあとの脳震盪について、フィギュアと同じ条件のスポーツ(体操の床の場合とフィギュアが似ているのでは…)で、それよりも、もっといろいろなスポーツで、このような場合のガイドラインがあるのかないのか、知りたいです。

 

脳震盪のことが問題ならば、精密検査の後から検証し、今後のあり方を検討すればいいのではないでしょうか。何にしても羽生選手は棄権を選択しなかったのですから。

 

選手生命もちろん命そのものにも波及して、棄権すべきだったという意見のほうが多いでしょう。視点はずれるかもしれませんが、思うんです、明日の命は誰が保障しているのかって。瞬間瞬間を生き抜くことが命を大切にすることではないかと。

 

意識はある、体はまだ動く、跳ぶことができる…。

 

その結果について、感動することや称賛は、美談作りとか美化などと、とやかく言われることではなく、さらに非難されることではないでしょう。マスコミがこぞって話題作りしたっていいじゃないですか。

 


Yahoo!ニュース - 激突の羽生、強行出場に松岡修造氏「滑るべきじゃない!やめてほしい!」 (デイリースポーツ)

 

 「僕は、美しく見せることがフィギュアだと思っていましたが、これはとんでもないスポーツだなと今、思っています」と声を震わせた。
 演技後、松岡氏は「僕は、羽生さんのことを誇りに思いますよ」と称えた。

 

演技が終わったら、まずその演技に対して素直な感動を心ある言葉で伝える松岡さんに好感を持つとともにほっとしました。

 

羽生選手が今回行ったことは、誰にでもできるわけではない異次元の事例。それを一般に落とし込んで考えるなんてできるのでしょうか。私の感動の中身はその類のなさに対する確信でしたーやっぱり、羽生結弦選手はすごい。

 


Yahoo!ニュース - 羽生 全治2〜3週間「ゆっくり休み治療したい」 (デイリースポーツ)

 

これを見る限りでは脳震盪のことは触れられていません。「ゆっくり休み治療したい」…羽生選手は決して無理はしないでしょう。次のために。

AERA (アエラ) 2014年11/10増大号 [雑誌]