ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

「富士には、月見草がよく似合う」

富嶽百景』太宰 治

・評論も小説も、読み取りのコツの共通点は「近寄る」ことです。

富士には、月見草がよく似合う                

未だに熱狂的なファンを持つ太宰治の『富嶽百景』は、高校1年の教科書に載っています。太宰の作品も夏目漱石と同じように、作品それぞれに名ゼリフを持っています。

 

・太宰と授業で出会うのは、『走れメロス』が最初だと思います。内容は忘れられませんね。高校では『人間失格』よりも、『斜陽』よりも、『富嶽百景』です。教師になりたての頃は、他の作品と比べてその良さがわかりませんでした。しかし、経験を積むと中学で習う『走れメロス』の人を信じ抜く話からの流れで、この『富嶽百景』を読むということに、意味があるのだろうと思えるようになったのです。

 

・そのためには、この小説を書いたころの太宰について触れなければ、「近寄る」ことはできにくいのです。太宰の作風は「デカダン」。そんな中で、『富嶽百景』は実際の太宰の生活の中で、失意からもう一度人を信じようとした時代に書かれたものです。

 

・小説のはじめの段落中に、

三年前の冬、私はある人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。

と書いてあります。人に裏切られた思いで見る、アパートの窓から見る富士は、「私」にとっては「苦しい」存在。自殺未遂、薬物中毒、愛する人の裏切り…その頃の太宰はさんざんでした。

どうしようもない人生の中で、小説の(太宰を思わせる)主人公は旅へ出ます。

 

・小中学校では、命がなくなってしまう話でも(例えば「スーホーの白い馬」や「ごんぎつね」)、「生きていく」ことの意味を肯定的に捉える話が多いのです。高校では、実は「死」にまつわる小説が多くなり、人間の深い苦悩に触れ、「生きる」ことそのものをどうとらえるのかが課題となります。行き着くところ、「暗い」結末を迎える話が多いのです。

 

・『富嶽百景』は主人公を旅へ出させることで、日常となっていた暗い生活を分断します。それから人との触れ合い、他者からの好意によって再生していく過程を、富士山を肯定していく主人公のセリフから読み手に知らせていくのです。実際の太宰は、自殺未遂、薬物中毒、愛する人の裏切り…さんざんでした。けれども、この小説を発表したころは、彼の人生の中でもめったにない、安定を手に入れ、前向きに「生きていく」ことを選んだ時期でした。

 

・「富士」と「月見草」、その関係性は丁寧に文章を読み込んでいくことではっきりします。「月見草」の佇まいに注目して。

 

・『富嶽百景』は私小説であり、師と仰ぐ井伏鱒二も登場します。作家としの自負も語られます。けれども、実際の太宰が選んだ道は……

 

・ところで、太宰のファンは、いつの時代も男子が多い!?のは、なぜでしょうね。

 

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文豪ナビ 太宰治 (新潮文庫)

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