井伏鱒二『山椒魚』:私は「蛙」だった。
特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
「人生の一冊」は夏目漱石の『こころ』。「青春の一冊」は、、、高校時代がよみがえる井伏鱒二の『山椒魚』だ。
国語の教科書で読んだ経験のある方も多いだろう。私がこの作品に出会ったのは中学生の時。「山椒魚」が身近な生き物でもなく、ちょっとグロテスクだから文字から頭の中で映像化することを拒否していた。
けれども高校生になって、嫌というほど読み返すことになってしまった。この作品を放送劇にして、文化祭でステージ発表することになったからだ。私は放送部員(部活動)だった。
文化部に入部したのは、ゆるく楽しみながらできるという期待からだった。それなのに、活動は活発なうえに熱心な先輩も多く、しかも大学生となったOBまでもやってきて指導する。生徒の自主性を尊重する校風であるがゆえに顧問は必要な時にだけ手助けするだけで、活動の一切は生徒に任されていた。1つ2つ上の先輩は絶対的な存在だった。窮屈・・・
自分の中途半端な活動に対する先輩たちの厳しい目が痛い・・・何かと面倒を見てくれる先輩にもうそをついて部活を時々休んだ。
まさか文化祭のステージに立って放送劇とやらをしなくちゃならないなんて、部活動紹介の時に聞いてないよー、なんて通じるわけもなく、役があてられてしまった。私は、、、「蛙」。
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外へ出ることができなかったのである。
『山椒魚』は、必要最小限の書き出しでいきなり読み手を引きずり込む。何があったのかも、もったいぶらずにすぐ明かす。読み手に余計な解釈をさせない。
昭和4年に発表された短編小説。短くあらすじを紹介する。
ーーー山椒魚は、谷川の岩屋の中で二年を過ごすうちに、成長しすぎて出られなくなってしまった。初めは虚勢を張り、そこから見える外の世界に対してもひねくれた感情を持っていた。しかし、そこから出ようとする試みが徒労に終わり、絶望に打ちひしがれる。体の自由を奪われた彼は、唯一自由にできる目蓋を閉じる行為によって暗闇の中に閉じこもる。悲しいまでの孤独を知った彼はますます悪党となり、ある日岩屋に迷い込んできた蛙を自分と同じように閉じ込めてしまうーーー
蛙はどうなったのか・・・初めは口論を繰り返していたが、閉じ込められて2年が過ぎ、お互い嘆息を感じさせないようにしていた。そうしたある日、岩屋のくぼみにいた蛙が深い嘆息を吐く。それに気づいた山椒魚は、蛙にくぼみから降りてくるように言うのだが、もう蛙には降りるだけの体力がなかった。空腹のため、蛙は死ぬ間際だった。
結末部分では蛙の印象的な台詞が物議を醸していた。
今でも別にお前のことをおこってはいないんだ
閉じ込められて死ぬのに、この台詞はどういう意味????? 国語として問いの答えを出すというよりも解釈を巡って意見があれこれでるところだ。
一般的に、最後に山椒魚と蛙は和解すると解釈されるくだりは、昭和60年の全集集録の際に井伏鱒二自身によって削除され、終わりはこのようになっている。
更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼らは、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意していたのである。
放送劇にするために、自分たちで(厳密に言うと、先輩たちが)脚本を書いた。台詞を中心に劇は展開していく。山椒魚の台詞は心に痛く刺さる。
ああ寒いほどひとりぼっちだ
小説の中の登場人物の台詞を丁寧に読む。どんな気持ちなんだろう。
私は蛙。でっかくなった山椒魚に理不尽に閉じ込められた小さな蛙。でも、勝気に初めは激しく口論していた。岩屋のくぼみが安全だと思っていた。そのうち、空腹のため、そこからも降りることができなくて・・・
先輩が蛙と私自身のキャラクターを考えて書いた台詞はアレンジしてあった。
「お腹が減って動けない・・・」
一生懸命に蛙になった。放送劇はうまくいった。先輩も一番にこの台詞をほめてくれた。ずっとへたくそで叱られてばかりでつらかったけれど、この台詞でやっと部になじむことができた。放送室に入りびたりになった。『山椒魚』という作品は悲しい文学なのに、私にとっては楽しい高校生活を思い出す大切な一冊になった。
その後、高校の国語教師になった。そして退職して3年が過ぎた。そう言えば、現職であった時、『山椒魚』で一度も授業を行う機会がなかった。それが唯一、やり残したことかもしれない。今一度、声に出して味わってみようか。