ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

百人一首がわからなくても小野小町の歌は有名

北野天満宮 絵馬所 三十六歌仙 小野小町の額

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百人一首がわからなくても知っているほど有名な和歌1位マイナビ・ウーマン  調べ 11.25の記事)は 

花の色は 移りにけりな いたづらに 

わが身世にふる ながめせしまに       

 美しい桜の花の色は、色があせ、衰えてしまったことだなあ。むなしく、私が長雨をぼんやり眺めて世を過ごして、物思いにふけっているうちに。

 

小野小町六歌仙の一人でもあります。彼女自身については、あまり確かな情報は伝わっていません。絶世の美女と言われていますが、果たしてどうなんでしょうか?

 

・心が晴れずになんとなくぼんやり外を見やっている小町、雨が降り続く中、桜の花が散っていく、なんだか艶っぽい光景が想像できます。自分の美しさの衰えを嘆いている歌……つまり、小町は自分が美人さんってことを知っていたわけです。

 

・彼女のモテ伝説に深草少将(ふかくさのしょうしょう)のエピソードがあります。「深草少将の百夜通い(ももよがよい)」--彼女のことが大好きな深草少将は結構しつこく彼女に結婚を迫っていました。小町は何回も断りますが、あまりにも何度もせまるので、困ってしまい、ある条件を出します。百夜自分のところへ通ってきたら、契りを結ぶと。

 

・彼は昼間は仕事を真面目に行い、夜は約5、6キロ離れた彼女の元へ通う日々。結構大変でしたが、彼女を思う気持ちで雨の日も雪の日も、99日、通い続けたのです。しかし、もはや体力は限界でした。百夜が目前となった時、大雪の中、彼は過労と病いで死んでしまいました(諸説ありますが、百夜は達成できなかったことは同じです)。

 

・「小野小町」--〇〇小町の元祖。紀貫之は「古の衣通姫(そとほりひめ)」とたとえ、小町を「よき女の悩めるところあるに似たり」と評しています。※衣通姫記紀にその美しさが衣を通して輝くほどの絶世の美女と紹介されています。本朝三美人の一人(『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母(兼家と結婚した)はその一人。あとは光明皇后

 

・本当に美人だったかどうか確証を得てはいませんが、本朝三美人どころか世界三大美人の一人ですものーー恋に、命をかけた深草少将のエピソード(実在の人物ではありません)ぐらいあって当然です。北野天満宮の額の絵は美しくステキな小町です。でも、古典の教科書にある『無名草子』では、死後の小町の話題が出てきます。「秋風の吹くたびごとに あな目あな目 小野とは言はじ薄(すすき)生ひけり」--絶世の美女も老いていくわが身を憂い、死後ドクロとなり野ざらしとなる……髑髏(どくろ)伝説なるものやお墓も全国に何か所もあります。実体はわからないのに、いつの時代にも語り継がれる「美女」の代名詞に間違いありませんね。