ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

高校の教師を辞めて1年8か月・冬

退職された方のブログをいくつか読ませていただいて、自分もどのような思いだったのか、自分の過去のブログを確かめにいきました。

 

高校の教師を辞めて8か月・冬 - ちょっとナオ帳

 

辞めるには理由があるのです。

私が教師を辞めた理由は、校長、男性年上同僚、男性同年代同僚、女性同僚…つまり、人間関係。

 

辞める直前に勤務していた高校の校長が、あまりにもスクールリーダーとして品格に欠けていたことが、許せませんでした。そのまま残ってやり過ごすこともできただろうと思います。その校長は年度末に退職でした。あと、ちょっと我慢すれば…。元高校の校長をなさっていた方など信頼できる方にも当然相談をしていました。2年間にわたる嫌がらせと思える言動について、私の思い過ごしや勘違いではないことも理解していただいていました。私が辞めることに対して、熱心に話を聞いてくださり、反対してくださいました。

 

でも、もう嫌だったのです。あんたのような校長がいるから、教育の信頼性が損なわれるだよ。生徒もあんたが校長で嫌がってるのがわからないのか?!すぐ具体的な校名を出して、他校と比べるなんて…。勤務校に対する「愛」はないのか!

 

こんな人でも公立高校の校長になれるのだ、これから何年か、また、変な校長が上司になるかもしれない…。この先も、いつかまた同じ思いをしなくてはならないかもしれない…校長としてふさわしくない人格の持ち主であっても世渡り上手。校長は退職後もそれなりの待遇を受けるだろう。

 

さらに、このまま続ければ、やがて自身が管理職を考える時期が来て、そのために尊敬できない校長にもへいこらへいこらする自分になってしまうのではと考えると、心はギリギリでした。

 

校長に関しては、茶化すことができない怒りを持っています。

 

でも、この校長はあくまでも引き金。ずっと前から辞めてもいい準備はしていました。 

 

若いころから、「長い物には巻かれよ」ができない体質です。退職願を書き始めたのは、実際に辞める5年前からでした。それから毎年毎年書いていました。

 

5年前の、その当時の校長先生はみごとなリーダーシップで学校を改革し、人を育て、色眼鏡なしで教員を見てくださっていました。うわさや誰かのタレこみなどで決して人を判断することなく、決断を下し、責任を取る方でした。

 

なのに、辞めたくなっていました。

 

ーーどうしようもない同僚ーー

 

男性のやっかみや非協力的態度はわかりやすく、誰が見ても「いじわる」でした。管理職への道を絶たれた、または諦めた年上同僚は、”生意気、女のくせに”という態度を取り、ずいぶんと辟易しました。また、年齢の近い男性同僚は、ポジションをめぐった水面下バトルに負けたことから、仕事を回さない、内緒にする、挨拶をしない、あることないことを言い触らして被害者ぶる等々、いわゆる「いじめ」の毎日でした。

 

まあ、これは閉鎖的な社会にはありがちなこと。校長先生が理解してくださっているならば、大丈夫だと乗り切っていました。

 

一番やっかいだったのは、

女性の敵は、女性

 

あんまりにも馬鹿馬鹿しいので、かえって笑っちゃいます。何気なく近づき、話を聞き出し、知り得たことを憶測でストーリーを変換させ、他者に吹聴して落とし入れる…震えるおお、怖っ!

 

それだけなら、まだしも、こともあろうに、校長に報告しにいく。そして校長のスパイと化し、裏工作に励む…。

 

 いずれにしても、どうしようもない嫉妬という感情を感じてしまいました。

 

今なら、「やはり裏切りかい?◯◯」「恥を知れ、俗物!」「黙れ!俗物!」と、ハマーン様になりきってかわすこともできます。しかし、あの頃はそれができなかった。許せなかった。へたくそだったのです。

 

人に対する嫌悪感が増殖して、人間関係の面倒くささが退職を決意させました。

 

どう言われようと己の運命は自分で開くのが私だっ!

  ここでハマーン様の台詞が…

 

そんなこんなで、ともかくも、次のやりたいことに向かって踏み出し、有り難いことに大学の非常勤講師をさせていただく中で、人に対する嫌悪感から徐々に解き放たれています。

 

仕事を辞める理由は、当たり前ですが、人それぞれですね。大きく傷ついていらっしゃる方も、不本意な思いを抱いている方もきっと多いでしょう。辞めることには大きなストレスがかかります。

 

辞めるストレスと続けるストレスを比べて、続けるストレスの方が耐えられなかった…高校の教師を辞めて1年8か月・冬の感想です。

 

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