ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

20代、大学生等は何を考えてるのか?

2、3日前、シリアに行って両足に大けがをして日本に戻ってきた20代半ばの若者がテレビのインタビューで答えていました。

 

命、精神力、知性をかけてすべてを試したかった

 

何か違う。試す場所が違う。そこは個人の力試しの場所じゃない。

 

北大生とコンタクトのあった関係者からもたらされる彼の情報と「私戦予備・陰謀罪」ということばとがそぐわない中、あっという間にことばの認知度があがりました。

 

二人の共通点、どこでどうなって「シリア」となるのか?情勢に詳しい専門家はヨーロッパからも居場所のない人がシリアに集まっていると話していました。

 

大学をでた後の居場所がないからシリア?このままでも自殺していたかもしれないからシリア?命、精神力、知性をかけてすべてを試す場所がシリア?

 

この間まで「ゆとり世代」の高校生。教え子と同じ年頃。講義を受講している学生たちも20代。人間の負の部分を見ないように、気づかないように生きる傾向と自分のしたくないことは無理をしない主義だと勝手に定義してわかったつもりでいたことが痛い。

 

「学校」という所属場所は一定の安定をもたらしていた。だから次の居場所が決まらないことは経験のない不安で、大きな恐怖で、それは「死」と等しい。彼らの恐怖心は外国の戦場にはなく、日本で生きることにあるのかもしれない。