ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

「大学崩壊」の一コマに認識の甘さを知りました

「学びを語る」:朝日新聞 2013年12月18日

・見出しは

教師と一線画すけじめ必要 「タメ口」使う学生

ここだけ見たら、中学、高校 ?いえいえ、大学の出来事でした。読み進めていくと、

一度も授業を受けていない学生が試験に遅れてきて「答案用紙持ってこい」「鉛筆かせ」と命令してきたことも。

えっ、えっ、えっ、えっーーーーーーー!!!

衝撃でした 。これが日本の大学の一つの現実だと思うと、飽きれるだけではなく、目の前に映像が浮かんで、筆者と同化して怒りが湧いてきます。

 

・著者は「激怒し追い出しましたが、学生は怒ったことに驚いていた」と続けています。怒りが伝わらないことも最近の現象としてよく耳にします。自分の何が相手を怒らせているのかわからないーー人間の根本的な感情である「喜怒哀楽」がこの頃の対人関係では一方通行であることが怒りを通り越して虚しささえも覚えます。

 

・この記事には、教授者の問題点と学生側の問題点が語られていますが、どちらかというと、教授者としての姿勢に対する苦言であるように読み取りました。以前から筆者も指摘している部分について、問題意識を持っていました。生徒の教師に対する「タメ口」や「呼び捨て」、保護者が教師を「さん」づけで呼ぶことなど、これらが「親しみ」や「子ども目線」と勘違いして、教師自身が自分の「立場」をわきまえていない……。

 

・「プロ」意識が学校現場から遠のいていると思っています。学校内では「先生」と「生徒」です。小学校だって、中学校だって、高校だって、大学だって、大学院だって、変わりありません。

 

・「教師は一線画すけじめが必要 「タメ口」許す教師」もちろん、これは例外です。

 

大学とは何か (岩波新書)

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