ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

「プア充」には共感できません

年収300万「プア充」に賛否両論:ダイアモンド・オンライン

・ヤフーが行った意識調査の結果は、「共感できるかできないか」、賛成、反対がみごと半々だったとのこと。

 

・あのー、「貧しい中にも充実した生き方に価値を見出す」という理解でいいのでしょうか?本は読んでいませんので、さまざまなところでの語りからそういう意味かなと推測しています。

 

・記事を読んでいるかぎり、「年収300万」がどうやらキーワードですね。著者のHPでは、著者自身が大学を辞めたあと、数年は仕事がなく年収200万以下だったことが書いてありました。ということは、大学に勤めていたころは、「プア充」は思いもつかなかった概念であるーーのでしょうか?

 

・何が嫌なのか……このことばに無理やり感があるのです。「プア」が軽々しく用いられて、若者に響くように「リア充」に似せてるところ。意味も低調な状態をさも楽しいように思わせる使い方。

 

・「子どもがずっと公立の学校へ行けば、実質タダ」ーーこのことばに唖然とします。実質タダではありません。義務教育では、授業料と教科書は無償です。それ以外は「タダ」ではありません。こまごまとしたものにお金がかかります。高校に至っては、高校無償化法が改正されました。すべての人が無償になるわけではありません。教科書も無償ではありません。かなり常識的なことを書いている自分が野暮ったく感じます。

 

・「年収300万」は、年齢層によって、また、個人がどの立場にあるのかによって、大きく意味合いが変わってきます。

「ストレスのない仕事」 「高くはないが、安定した収入」 「希望あふれる未来」

「過剰な労働」 「割に合わないそれなりの収入」 「不安だらけの将来」どちらを選ぶ?

 組み合わせは何通りもあるから、「どちらを選ぶ」という選択肢にはなり得ないと思うのですが。

 

・あのー、単純に……これからの若者には、やはり夢も希望も語ってほしい。さらに、若いからこそできる苦労もしてほしい。年上のものは、そのような若者たちがなんだか元気がないときに「ふんふん」と聞いたり、おいしいものをいっしょに食べたりして、「いつも見てるから」とニッコリ笑っていられる存在でありたいと思った次第です。

 

うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ

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