ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

人とのつながりの「輪」を感じた1年:日本漢字能力検定協会

今年の漢字は「輪」

・協会が「ー『輪(リン/わ)』が表す2013年とはー」について、3つほど説明をしています。http://www.kanken.or.jp/kanji2013/common/data/release_kanji2013.pdf

その一つが、人との「つながり」……「つながり」、「つながり」、「つながり」!

昨日の朝日新聞文化面「つながりすぎ社会を生きる」の記事が今日の話題と効果的な「つながり」となって、頭の中を巡ります。

 

・哲学者千葉雅也さん、以前から個人的に大注目している学者さんです。「接触過剰」ーー今のネット社会の現象と問題が語られていました。気になったことばは「常に『つながりのアピール』が求められ(る)」という指摘です。

 

・SNSの広がりは、特有の気配りルールを作ってしまったと言えるでしょう。私はネット社会の「つながり」の要素として「縛られる個」ということを考えています。ー実体として不確かであるのに、その不確かなものの中での縛りに、自分の存在意義を認めるーつまり、「ひとりじゃない、誰かとつながっている」ことの実感。

 

・千葉氏は記事の中で、「僕が考えているのは、個であるための『切断』の哲学。浅田さんが1980年代に主張した逃走』論をふまえたものだ。今は、『逃走』の行方だった横へのつながりが、過剰化している」と述べています。

 

・それを受けて、批評家浅田彰さんの考えが語られています。

 

「『逃走』とはマイノリティーになること」

今年一番の、脳に響いたことばです。「自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる」うんうん。思わず頷いてしまいます。

 

・でも……「切断」すると、あっという間に真っ暗な宇宙に放り出されてしまう危険に陥ってしまう…「逃走」したあと、またどこかにつながれたらいいけれど…ならば、少々面倒くさいことも、まっいいかっ、どうせネットの世界だし。どうせ一時だから。とはなかなか行かないかもしれませんね。「つながり」たいのは、もしかしたら弱い「個」だから!?。

 

 

逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

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動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学