ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

昔の『ライバル』 勝ったのはどっち?

北野天満宮にて

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菅原道真は学問の神様。漢籍、和歌なんでもOK。百人一首に菅家の歌も選ばれています。その関係でしょうか、境内の一角に寄贈された三十六歌仙肖像画が飾ってありました。

 

三十六歌仙

左:平 兼盛  右:壬生忠見

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この二人は、天徳四年の「内裏歌合(だいりうたあわせ)」で左右につがえられました。その時の歌は百人一首で親しまれています。

しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで  平兼盛

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見

「だれにも知られない ように心に秘めてしのんできましたが、とうとう顔にでてしまったことだなあ。私の恋心は、何か悩みでもあるのですかと人が尋ねるまで」

「あの人に恋をしているという私の評判は早くも立ってしまったことだよ。誰にも知られないように思いはじめたのになあ」

 

・どちらがお好きでしょうか?

 

 ・人それぞれですよね。でも、平安時代、貴族にとって「歌」は「遊び」にもかかわらず、出世に影響を与える重要な武器です。歌合は競い合って、勝ち負けを決めます。

 

・評価は同じだった。甲乙つけがたい二人の歌。そんな中で、天皇が「しのぶれど…」を口ずさまれた…だから、平兼盛の勝ちとなりました。忠見は負けたことで気落ちして病になり、お見舞いにきた兼盛の前で死んでしまったと伝えられています。

 

・和歌は雅の極みだと思うのですが、このような「ほんまでっか?」的なエピソードは、平安貴族の表面からは見えない、腹の底にある’根性’を感じさせます。菅家のおそろしい祟りもそうですが…。

 

 

対訳 寺社を歩けば京都がわかる―Discovering Kyoto in Temples and Shrines(bilingual edition)

対訳 寺社を歩けば京都がわかる―Discovering Kyoto in Temples and Shrines(bilingual edition)