ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

人は相手を0.5秒で判断している

『やっぱり見た目が9割』竹内一郎

『人は見た目が9割』ー8年前タイトルを見て「やっぱり」と思って、手に取って読みました。高校生にも読みやすい新書なので、おススメの本に入れていました。8年後その続きが『やっぱり見た目が9割』このタイミングが予想外でした。

 

・個人的に面白かったのは、第1章と第4章です。

 

・第1章 言葉は意外と無力である

言葉だけでは伝わらない

言葉は「伝達の手段」であると国語の授業で教わった。しかし、「言葉の意味」を伝えただけで「伝えた」ことにならない 

 確かに、そうですね。「伝達」=命令・連絡事項などを伝えること。つぎつぎに伝え届けること。(広辞苑)「伝達」そのものには「こころ」や「思い」を伝えるという意味はない…

 

・「伝える」とはどういうことなのでしょうか。自分の頭の中にある言葉を駆使して、できるだけ100%そのまま相手に伝えようとしても、言葉にはきだしたときは、その半分も伝えきれていません。思いや考えを頭の中でつぶやく。そのつぶやきを文字化する。今の気持ちを表すなら、どのことばがぴったりか。最も自分の気持ちに合うことばを一つ一つ選び出す作業がどんなに大変なことでしょう。それをつなげて文にしてみると、うまくない。いい加減にしてしまうと、誤解を招きかねない危険性も。

 

・竹内さんは著書の中で、伝わり方の違いは、言葉以外の情報量、つまり「非言語情報」の量であると述べています。

言葉は概念を伝えることに秀でている。しかし、色や形状のような情報を言語で正確に伝えるには、膨大な情報量を要することになる

 

・ここまで読んで、ふと言語情報として最も少ない例、世界で最も短い文学である俳句を思い浮かべました。俳句のすばらしさは、5・7・5の17文字が、選び抜かれたことばで構成され、そのことばを媒介して作者と同化し、世界が宇宙まで広がることだと思います。散文は、使用する言葉が多すぎて、かえって言い逃れてしまいます。

 

・第1章の終わりがけ、

テレビや漫画で「馬鹿になる」のはなぜか

「『ちゃんとした活字の本を読みなさい。漫画ばかり読んでいると馬鹿になります』と親に小言をいわれた子供は多かったはずである」という昭和30年代から40年代のエピソードから、「非言語情報」の占める割合がテレビや漫画の方が圧倒的に高く、情報の受け手が想像力を働かせていないことを指摘しています。そして、想像力を働かせる例として、万葉集を引用して説明されています。

石ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも

 

・竹内さんは

送り手はまず目の前の光景に感動して、それを概念化する。受け手は概念化された言葉から、頭の中に光景を再現する。頭の中で、絵と言葉を交換できる能力が双方に必要とされる

と述べています。

 

・なんだか、「見た目」に行く前に、回りくどいなあという感想を持ちながら、さっきの親の小言の例の落ちは…「相手(子供)の心に届く言葉で言わないと、言われた方の気持ちは離れていく。大人はもう少し丁寧に説明する必要があった。言葉が足りなかったのである」ということでした。

 

・『見た目』の定義が誤解されないように、『見た目』=『非言語情報』の説明にことばをくだいていることが丁寧すぎて、第1章はお腹一杯になったのですが、万葉集(難しい技巧を使っていなくて、見たまま詠っていますから素朴)を引き合いに出されているところと、「コミュニケーション」という切り口で考えると面白いなと思った次第です。

 

やっぱり見た目が9割 (新潮新書)

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