ちょっとナオ帳

なんだかまた書きたくなりました。それだけです。

コミュニケーション能力不足って言わないで

「バカ学生に誰がした? 進路指導教員のぶっちゃけ話」 中公新書ラクレ

・いつもは本の題名などに「バカ」ということばがあると、単純すぎるのに人を見下す感が不愉快で購入しないのですが、かつて自分も進路のセンセイをしていたので、どんなことが書いてあるのか自分の目で確かめてみようと思いました。

 

・まず、

全国の高校5060校に必ずいる「進路のセンセイ」の目から大学進学の舞台裏を暴く

って帯。これ、違いますよね。なんだか曖昧。「『進路のセンセイ』だった筆者さんの目から暴く。」ですよねえ!?

 

・はじめの方から、また出た!「コミュニケーション能力不足は高校以前の問題?」東大の例で、教授が人間関係がうまく作れない学生について、新入生オリエンテーション合宿不参加が原因と述べ、さらに別の教授も

自主性のかけらもないわけで、あれじゃあとても就職なんて無理です。こういう学生は大体が大学院進学から研究者になろうとします。だけど、研究者にもコミュニケーション能力が必要ですし、卒業後どうなるか心配です

新入生オリエンテーションは「参加は義務ではない。任意である。」のだそうです。上の発言を読むと、参加しない=「自主性がない」という判断がなんだか直線的。融通きかない。堅い。たとえ文章にある「親も高校教員も参加しろとは言わなかった」のだとしても、「参加しない」って決めたことが「自主性」ではないでしょうか。しかも、卒業時まで言及し、入学後のこれからの可能性をもはや否定。さらに、筆者は、「周囲とうまくなじめない、自主的に動けない学生がいるのは東大だけではない。他大でも同様だ。」と続けている。

 

・何をもって「コミュニケーション能力」っていうのでしょうか?共通一次世代、新人類だって、そう言われてましたよ。教師になりたての頃、先輩教員から、そりゃもう、恐れられてましたから…「どうコミュニケーションをとったらいいかわからない」って。共著の方も新人類と言われた世代。その世代が今、大人として社会を仕切ってますから。

 

・「新人類」もその前の世代も「ゆとり世代」も、10代後半から20代前半を「若者」という共通単語で括れるのです。「自主性」なんて、みんながみんな、「バリバリ」ありましたか?「コミュニケーション能力がない」って言われること、嫌でしたね。自分のことではなくても、「今の若者は」で語られるとき。

 

・そう考えると、日本人の「若者」はいつの時代も「コミュニケーション能力不足」??????

 

・この著書を読み進める気が失せたので「進路指導あるある」は今日はかけません。

同時に読んでいるのが↓です。

 

「若者」とは誰か: アイデンティティの30年 (河出ブックス 61)

「若者」とは誰か: アイデンティティの30年 (河出ブックス 61)

 

・自己を振り返って「若者」の意味づけをしたいと思います。